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仕事をする以上は常に「良い結果」を出したいと願い、「良い結果」を出す事ができなければ「それは自分自身の未熟さ故」と自分自身を責め、「ではどうすればよう結果を出せるのか」という点について、脳みそが千切れるほど考え抜き、あれこれ画策しなければいけないのは世の常であり、それはそれで仕方がないことだと考えています。
自分は「広告運用者」として人と仕事に携わる機会が多く、時には様々な課題を抱えた新規サービスや、新規事業を最初に軌道に乗せるための広告運用に携わる機会が少なくありません。
特に新規事業、新規サービスの広告運用に携わる際、今取り組んでいることが間違っていなくても「良い結果」が出るようになるまでにはタイムラグが発生することが珍しくありません。短くて2ヶ月、長ければ1年以上、よくベンチャー界隈で「死の谷」などと呼ばれる期間が存在するとされていますが、これは想像以上に孤独で、とても辛く苦しい期間です。
そういった期間は、まるでいつ結果が出るか分からない状況で、向こう岸も見えない状態で、ただただ暗闇の中でジャンプし続けているようなものです。
「暗闇の中のジャンプ」は「暗闇の中の跳躍」「命がけの跳躍」とも呼ばれ、マルクスも『資本論』のなかで、これについてたびたび言及しています。
日本では特に、幻冬社の見城徹氏がたびたび著書のなかでも触れているためか、知っている人も多いフレーズなのではないでしょうか。
実際に生きていると、自前の思考力をどう駆使しても答えがみつからず、また向こう岸が見えない暗闇の状態の中でも「ジャンプ」し続けなければならないことが多々あります。
企業や起業家だけではなく、一般的な個人の人生の中においても「死の谷」は存在するのです。
しかし中には「ジャンプ」を続ける事ができず、同時に「自分」「今」「未来そのもの」を投げ出してしまう人も多く存在します。
そういった人にオススメの一冊が『かもめのジョナサン』なのです。
目次
あらすじは以下の通りです。
「飛ぶ歓び」「生きる歓び」を追い求め、自分の限界を突破しようとした、かもめのジョナサン。群れから追放された彼は、精神世界の重要さに気づき、見出した真実を仲間に伝える。しかし、ジョナサンが姿を消した後、残された弟子のかもめたちは、彼の神格化を始め、教えは形骸化していく……。新たに加えられた奇跡の最終章。帰ってきた伝説のかもめが自由への扉を開き、あなたを変える!
『かもめのジョナサン【完成版】』より引用
初の刊行は1970年。刊行以降2年間は全く売れない状態が続きましたが、1972年6月以降にヒッピー文化に心酔していた若年層による後押しがあり大ヒットとなり、日本でも同年に初の翻訳本が刊行されました。
不思議と起業家、経営者などに現在も読み続けられ、最初の翻訳から40年以上たった今でも、新潮社におけるロングセラー商品となっています(ちなみにこれを日本語に翻訳した五木氏曰く「なぜ売れ続けているのか、私にもよくわからない」とのこと。)
著者のリチャード・バック氏は、初の刊行(1970年)以来、全三部構成で貫き続けたものの、2012年の飛行機墜落事故の経験をもとに執筆当時封じた「第四部」を公開すると決意し、2015年に四部を加えた「完全版」が刊行され、これも日本でも即翻訳、出版されました。
<<以下ネタバレ含みます>>
「今のままであろう」とする仲間のかもめ達と、「新しい飛び方を体得しよう」とするジョナサンの対比が印象的で、より優れた飛行を体得しようとするあまりジョナサンは群れから疎まれ、ついには群れから追放され、かもめにしてはありえないことに、ひとりで飛び続けるようになります。
しかしジョナサンは様々な工夫や挑戦を積み重ね、誰も挑戦した事がないようなありえない飛行技術を次々と習得していきます。
最終的には仲間の祖先にあたるかもめたちや、同じように群れからドロップアウトしたかもめたちに飛び方を指南するだけの存在に留まらず、かもめたちから伝説的な英雄として、語り継がれるような存在へと昇華されていきます。
・・・
『かもめのジョナサン』は非常に短い作品なので度々再読するのですが、その度に、自分は以下3つのことを確信します。
(1)極限まで追求すべき
世の中には色々な人がいます。中には自分の取り組みに逐一文句を言ってくる人や、頼んでもいないのにアドバイスをしてくる人もいるでしょう。
特に論理的根拠のない文句やアドバイスは、基本全部無視してOKです。
はっきり言って、その手のものを気にかけるのは時間の無駄です。ただその代わり、自分が信じた価値観、可能性については極限に至るまで追求すべきです。
世界に存在する、あらゆる極限まで振り切っているものは、見た人をその瞬間に圧倒するように、はじめからそのように創られています。
つまり視界に入った瞬間に、見た人を圧倒感するような、つい声が漏れてしまうようなものでなければ閾値にすら達しておらず、それは「所詮はその程度のもの」でしかありません。
例えば『かもめのジョナサン』の中において、ジョナサンは飛行技術を突き詰めた結果、瞬間移動ができるようになったり、時空を超えて飛行できるような存在にまで至ります。
自分の経験上もそうなのですが、そういった極限的な領域に踏み込むと、もう口を挟む人は誰ひとりいなくなります。
例えばですが、そういう閾値に達していない広告を制作、納品し、お金を貰うことは、果たして良いことなのでしょうか。
自分の場合は気分的にも気質的にも、そう言ったものには一切関わりたくありません。なのでそういった仕事は提案されても断りますし、自分からそういった仕事をするような状況に陥らないように、あらかじめ余裕を持って自分から様々なこと、人に働きかけるように日々意識しています。
(2)現状維持に固執すべきではない
様々なリスクについて勘案すべきですが、色々なこと、特に新しいことに積極的に取り組むべきです。
新しい取り組みに着手すると、最初は白い目で見られたり、馬鹿にされたり、頭ごなしに否定されたり、時には人前で恥をかくこともあるかもしれません。
『かもめのジョナサン』において、ジョナサンは様々な飛行技術を習得しようとして、はじめ群れから白い目で見られ、結果追放されるに至ります。
でも別に、それってどうでもいいことじゃないですか。
そんなことを考えたり、悩むことに時間を使うよりも、その時間を使って「結局何が一番大事なのか」というラディカルな問いかけを、常に自分自身に投げかけ続けるべきです。
新しいことに取り組む中で、孤独を感じたり、孤立するような状態になったとしても、それはあくまで一時的なものでしかありません。
長期的に見て、次々に新しいことにトライし、そこから学びを得て、その経験を次に活かそうとする人の方が、何事においても間違いなく成功確率は高い。
現状維持に固執せず、次々に新しいことに取り組むことが、結果より「良い結果」を手繰り寄せることにつながります。
(3)独占するに値する知識はそうそう無い
作中ジョナサンは慕ってくるかもめたちに、次々と知識を授けていきます。「自分たちには才能がない」と嘆くかもめたちにも、希望の言葉をかけていき、次々に力を分け与えていきます。
自分は自分自身がブログを書いたり、noteやTwitterで運用型広告の情報を発信し続けるきっかけになったのは、この姿勢から無自覚的に習ったところが大きいように考えています。
情報の非対称性を巧みに利用し弱者から搾取しようとしたり、効果的な手法やハック方法の知識を独占し、自分だけで旨みを味わおうとする人は世の中には意外と多く存在します。
もちろん中には世紀の発見のような知識もあり、そういった知識は企業や個人であれば法的に独占できるよう、手配したりすることもあります。
しかし残念ながらWeb広告の世界固有の知識おいて、そういったストック状の、積み上がっていくような知識はほとんど存在しません。
大抵の場合はフロー状のもので、すぐ役に立つものではあるものの、一定期間を経てしまうと効果が著しく減退するような、そういった知識でしかありません。
すぐ役に立つ知識は、すぐ役に立たなくなります。
すぐ役に立たなくなる知識なんかはさっさと言語化し、より多くの人に広めた方が良いに決まっています。そしてそういった営みを繰り返している人のところに、さらに上質な知識がフロー、ストック関係なく転がり込むようになるということを、自分は経験則で理解しています。
また数少ないストック状の、積み上げ式で役に立つ知識も自分はなるべく手放すようにしています。
例えば自分が以前に公開した「リスティング広告の広告文の作り方」などはまさにその最たる例です。
この記事には「いま自分自身がどのように広告文を作成しているのか」という情報を余すところなく全て集約しています。知識としては非常に汎用性の高いものになりますし、普遍的な内容になるためほぼ半永久的に利用可能な知識です。
なぜかこのような情報まで発信するのかといえば、ジョナサンを慕って多くのかもめが彼のところに集うように、情報を出し続けていると必ずその情報の量や質に応じて、人が集まり始めるからです。
また一度文章にしておくと、再度同じことを何度も何度も説明せずに済みます。例えば新入社員に毎年毎年同じことを何度も何度もいうのであれば、それはもう文章化してしまい、外部に公開しておいた方が良いと自分は考えています。
外部に公開すれば情報に対して外部からのフィードバック、評価も入りますので、ある意味「裏が取れた情報」として受け取る側も、その知識がどの程度体系化されたものなのか、社会一般で通じるものなのかを認識した上で、受け取ることが可能となります。
そしてそれによって浮いた時間を、新しいこと、まだ周りの人が誰も挑戦したことがないような事や、ずっと検証したかったこと、通常業務の枠組みから外れた上流の取り組みに時間を投資するようにして新しい知識を得ようと画策します。
また良い知識が得られたのであれば、それを積極的に周りの人に伝えてあげれば良いのです。そうすることで強固な循環が出来上がりますし、その循環の価値は、想像している以上に絶大な価値を生み出し続けます。
当記事は以前noteに書いたものに対して大幅に加筆修正を加えたものであり、画像などは撮影当時のものになります。
文責:川手遼一