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今まで多くの書籍を読んできましたが、「自分の人生にもっとも影響を与えた新書は何?」と聞かれたら『キュレーションの時代』を真っ先にあげるでしょう。
「川手の存在は、最初 X で知った」
この記事を読んでいる方の中には、そういった方も多いのではないでしょうか。
川手 遼一(@RKawtr)さん / X
https://x.com/RKawtr
X のフォロワーは2025年5月現在、約2万人超ほどいます。
ほぼ運用型広告に関する情報のみ発信していないアカウントの割には、ずいぶんと多くの方に気にかけていただいているように感じています。
本題はそこではなく、「なぜ運用型広告に関する情報を発信しているのか」という点です。
目次
「なぜ運用型広告に関する情報を発信しているのか」ですが、一番大きな理由は2018年ごろに社内向けにX(当時Twitter)がビジネスに与えるインパクトやオウンドメディアの効果効能について、才流の栗原さんが勉強会を実施してくださったのが非常に大きなきっかけとなりました。
「ではなぜ、その勉強会で言われた通り、Twitterの効果を信じ実行したのか」
理由は3つあります。
- 栗原さんの話に行動を引き起こさせるだけの情報がこめられていた
- 以前に通読していた『キュレーションの時代』に通ずる点が多々あった
- 単純に面白そうだった
今日は「2.以前に通読していた『キュレーションの時代』に通ずる点が多々あった」にフォーカスし、お話ししていきます。
本書は2011年2月にちくま書房より刊行された新書で、内容としては次のようなものとなっています。
情報の常識はすべて変わった!
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
テレビ、新聞、出版、広告――。マスコミが亡び、情報の常識は決定的に変わった。ツイッター、フェイスブック、フォースクエアなど、人と人の「つながり」を介して情報をやりとりする時代が来たのだ。そこには人を軸にした、新しい情報圏が生まれている。いまやだれもが自ら情報を選んで、意味づけし、みんなと共有する「一億総キュレーション」の時代なのである。シェア、ソーシャル、チェックインなどの新現象を読み解きながら、大変化の本質をえぐる、渾身の情報社会論。
要するに、日常生活を送る上で摂取する情報量が増えた結果、その情報を整理したり、コンテキストを付与したり、レコメンデーションしたりする存在がさまざまな理由から求められるようになっていくことを予見しているのが、本書の主な主張です。
実際にその後に起きた数多くのキュレーションメディアの出現や、本書の中で「キュレーター」と呼ばれるような存在や、現在「インフルエンサー」とも呼ばれるような個人の出現を鑑みると、本書、特に第4章「キュレーションの時代」の内容は、非常に先見性のある内容であったと評価すべきです。
本書は前述した通り、2011年の刊行です。つまり、刊行からすでに約15年近く経過しているわけですが、ひとが情報を求める本質的な理由についても触れており、それもあって内容はいまなお古びておらず、現在でも議論を深めたり、話題を広げたりする上で十分に読みごたえのある一冊です。
個人的に、本書における極めて重要と思われる指摘は以下3つのとおりです。
著者は、「情報の真贋の見極め」などを個々人が実施する事の難しさなどを例に、キュレーターやキュレーションの発生の必要性、必然性について指摘しています。
著者は「情報の真贋なんてだれにもみきわめられない」にて、次のように主張します。
マスメディアが情報を絞っていた時代にくらべれば、情報の量は数百倍か数千倍、ひょっとしたらもっと多くなっているかもしれません。その膨大な情報のノイズの海の中には、正しい情報も間違った情報も混在している。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
これまでは新聞やテレビが「これが正しい情報ですよ」とある程度はフィルタリングしていたので、まあそれをおおむね信じていれば良かった。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
ところがネットにはそういうフィルタリングシステムがないので、自分で情報の真贋をみきわめなければならなくなった。だから「ネット時代には情報の真贋を自分でチェックできるリテラシーを」と言われるようになった
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
しかしネットの普及から十五年が経ってふと気づいてみると、とうていそんな「真贋をみきわめる」能力なんて身についていない。それどころか逆に、そもそもそんなことは不可能だ、ということに気づいたというのが現状なのです。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
つまり情報量がより増大化し、フィルターの存在しないネット上では情報の真贋の見極めコストを個々人が捻出する必要がありますが、それがないため大変難しい…と指摘しているわけです。
その上で著者は「でも人なら」と可能性を見出します。
「事実の真贋をみきわめること」は難しいけれども、それにくらべれば「人の信頼度をみきわめること」の方ははるかに容易であるということなのです。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
この人、というのが著者が本書で指摘するキュレーションを行う人物そのもの(キュレーター)です。
著者はキュレーターについて、著者は次のように本書にて説明しています。
キュレーターというのは、日本では博物館や美術館の「学芸員」の意味で使われています。
世界中にあるさまざまな芸術作品の情報を収集し、それらを借りてくるなどして集め、それらに一貫した何らかの意味を与えて、企画展としてなり立たせる仕事。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
そして、このような仕事の様は、まるで情報量の中から必要な情報をピックアップしてくる様のそれと同じであり、そのため情報量の中から必要な情報をピックアップしてくる存在のことも「キュレーター」と呼ばれていると指摘しています。
これは情報のノイズの海からあるコンテキストに沿って情報を拾い上げ、クチコミのようにしてソーシャルメディア上で流通させるような行いと、非常に通底している。
だからキュレーターということばは美術展の枠からはみ出て、いまや情報を司る存在という意味にも使われるようになってきているのです。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
著者は海外での言及などをもとに、「キュレーションは情報そのものと同じぐらいに価値が高まってきている」としています。
あるアメリカ人のブロガーは「コンテンツが王だった時代は終わった。いまやキュレーションが王だ」と書きました。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
一次情報を発信することよりも、その情報が持つ意味、その情報が持つ可能性、その情報が持つ「あなただけにとっての価値」、そういうコンテキストを付与できる存在の方が重要性を増してきているということなのです。情報爆発が進み、膨大な情報が私たちのまわりをアンビエントに取り囲むようになってきている中で、情報そのものと同じぐらいに、そこから情報をフィルタリングするキュレーションの価値が高まってきている。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』より引用しつつ、一部執筆者による加筆
この傾向は、2025年現在、いわゆる「インフルエンサー」と呼ばれる人々が活躍していることからも明らかでしょう。
彼らは単に情報を発信するだけでなく、独自にものごとを見つめ、コンテキストを付与し、多くの人々に影響を与えています。
著者は SNS には「ゆらぎ」が存在し、そのため旧メディアにはあったような情報の流れの固定化や情報がコントロールされることによる硬直化が起きない点について指摘し、常に SNS では情報が「ゆらぎ」、それ自体が社会を健全に発展させていくための原動力になっていくと指摘しています。
このように私たちの相互の関係性は、いまや劇的に変化してきているのです。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
自己完結的な閉鎖系は、情報の流れを固定化させ、そしてまた情報が内部の法則によってコントロールされてしまうことで、硬直していきます。この硬直は、同心円的な戦後のムラ社会には都合がよかったともいえるでしょう。
しかしグローバリゼーションの中でアウトサイドの世界がどんどん変化していっているときに、こうした情報の硬直化は間尺に合わなくなってきています。
一方でソーシャルメディアの不確定な情報流通は、外部から情報が流れ込み、セマンティックボーダーがつねに組み替えられて、それによって内部の法則が次々と変わっていくことで、つねに情報に「ゆらぎ」が生じている。
この「ゆらぎ」こそが、私たちの社会を健全に発展させていくための原動力になっていくのは間違いない。ゆらぎのない硬直化した同心円的閉鎖社会から、私たちは「ゆらぎ」をつねに生み出すダイナミックな多心円的オープン社会へと、いまや踏み込みつつあるのです。
2025年の視点から見ると、「健全な」という点についてはいささかの議論の余地があるように思われますが、それによりダイナミックな多心円的オープン社会が引き起こされていることは、ほぼ間違いないといって良いのではないでしょうか。
最後に何点か本書について言及しておきたい点があります。
全体的にやや冗長です。
仮に「面白い本がある」と本書を紹介されたとしても、第1〜3章などで脱落してしまう人も多いのではないでしょうか。
本書で指摘した内容は、第4章以降のものが主ですから、気になった方は第4章の「キュレーションの時代」から読んでも良いのではないでしょうか。
著者は情報そのものではなく、情報の発信者による見極めを行うことの有効性について本書で指摘しています。
「事実の真贋をみきわめること」は難しいけれども、それにくらべれば「人の信頼度をみきわめること」の方ははるかに容易であるということなのです。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
これは2011年当時は、そうだったかもしれません。しかし、2025年現在、偽広告問題などをはじめ、著名人になりすますアカウントの出現などを多くの SNS が問題として抱えており、またそれらに関するトラブルや報道も連日のように報道されています。
偽広告との接触や直近の視認頻度に関するアンケート調査結果
https://kwmlabo.com/survey_results/4390/
「著名人だから信用できる」と、安易に SNS 上のコンテンツを鵜呑みにしてしまう危険性についても、2025年現在は考える必要性があるのではないでしょうか。
本記事の主張からはズレますが、旧来の「広告」は本当に消滅したのでしょうか。
著者は本書にて、次のように指摘しています。
マスメディアを経由して情報をコントロールする旧来の「広告」は消滅します。
引用元:『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる』
マスメディアの記者に情報を提供する「広報」も、ビオトープが無数に立ち上がってくる中で意味をなくしていきます。
広告も広報も販売促進もやがては一体化し、「どのようにして的確なビオトープに情報を投げ込むのか」「どのようにして情報を発信するのか」といったことをポートフォリオを組んで分散させ、的確にコンサルティングできるような広告企業だけが生き残っていくことになるのではないかと、私は考えています。
フジテレビ問題などもあり、今これから大きな動きがあることも予想されますが、「消滅」とまではいかないのではないかと川手は考えています。
テレビは、15年経った今も引き続き魔法の箱です。
多少、広告媒体としては売り上げ減などが起きている一方、例えば資金調達したスタートアップがテレビCMに多額の投資をしたり、また「広報」に関しても、「テレビ番組で自社が取り上げられるかもしれない」ともなれば、もちろん番組のネームバリューにより反応は異なるかもしれませんが、広報はもちろん、重役含め躍起になるといった企業もまだまだ日本には多く存在しています。
消滅にはとても至っているようには思えませんし、今後も魔法の箱として、存在し続けるでしょう。
本書最大の難点は、Kindle 版が未だに出ていないことでしょう。
ただ川手個人で見ても、人生で通算5〜6回は買い直しているので、売上への貢献を考えると紙の方がよいのかもしれませんが、紙の場合、検索機能もないため、本記事などを書く際も多少の苦労がありました。また出先でふと「読みたい」となった際などに困ることもあります。
良い本だからこそ、定期的に読み返したくなるのですが…
ぜひ Kindle 版の提供も強く望みます。
文責:川手 遼一